自称オーディオファンの備忘録

オーディオが好きなおっさんのいろいろな話

シティポップ

最近、日本のシティポップが世界で注目されているらしい。
シティポップをリアルに経験した自分にとって、正直、どこがシティポップなのか、何がシティポップなのかわからない。
今、区分されれているものを見れば、何となくはわかるのだが。


例えば、「真夜中のドア/松原みき」。
自分から見れば、歌謡曲のようなニューミュージック。杉山清貴&オメガトライブや大瀧詠一、杉真理などはニューミュージックと思ってきた。
しかし、どうやらシティポップと区分されるらしい。


詳しく調べてみると、1970年代後半から1980年代にかけて日本で作られたニューミュージックの中で欧米の影響を受け都会的に洗練された洋楽志向ものをシティポップと呼ぶらしい。


まあ、聴く側には関係ないし、ずっと気に入って聴いてきた楽曲が世界で注目を浴びることは悪いことではない。
実際、オメガトライブやナイアガラ・トライアングルは好んで聴いていた。


ナイアガラ・トライアングルのメンバー、佐野元春はデビューからずっとお気に入り。サムディやガラスのジェネレーションやヤングブラッズ今でもよく聴く。


ベストテンに出演していたからカテゴリは歌謡曲?かもしれないが、原田真二は母親が好きで自分も聴くようになった。彼の音楽性はその区分で行けばシティポップに入るような気がする。特にタイムトラベルは一番のお気に入り。スピッツがカバーしてたり。


結局のところ、俺にとって音楽ジャンルはあまり関係ないのかもしれない。
〇〇だから聴くとか、▢▢だから聴かない、ということではなく良いと思うから聴く。


ただ最近の新しい楽曲はどうしてもなじめない。タイパ・・・タイム・パフォーマンスというらしいが、ドラマや映画を倍速で見るらしい。同じようにイントロが長い曲は敬遠され、すぐにAメロが始まる曲が歓迎されるとか。
また、楽器が軽視される傾向も俺には馴染めない。パソコンで曲を作りすぐに配信できるというのは、良い面もあるのは理解できるが、俺にとってはデモテープのレベルと考えてしまう。「効率化」というものに感性の世界が侵食されているようで。


古い考え方なのかもしれないが、イントロはその曲のプロローグで、演奏するミュージシャンは個性を持った楽曲の重要なメンバー。


すべての音楽がこうなってしまうとは思わないが、いつまでも音楽は「音を楽しむ」ものであってほしいと切に願う。

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